書き殴りたいことやまやまです

自意識過剰な子無しOLのぼやきです

「自分を大切にする方法」を読み続けていたら、ひらめいた。「そんなのできない」と思っても読み続けることに意味があった。

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「それいいアイデアね!それいいアイデアね!」[モデル:土本寛子]のフリー写真素材を拡大

ここ1週間くらい悩んでうじうじしていましたが、ばかばかしいのでやめました。否、突如「やめられました」。

悩みのタネは職場の人間関係。もともと相性の良くない同僚がおり、あることでなかなかキツイ言葉で怒られたのでした。それを機に私は全面的に自分に自信がなくなり、己のことを会社で全然働いていない給料泥棒だと思うようになりました。私を攻撃する特定のひとりのみならず、実は会社のみんなが私を煙たがっているのだと感じるようになりました。

自意識過女史にはメーターがついていて、片方には卑下卑屈、もう一方には傲慢の文字が刻まれているのです。どっちに振れてもウザいのですが、今回は卑下卑屈に振り切れて、家で泣いたりカンジダになったり最悪でした。痒いんだ!

私はこんなことを書いた付箋を持ち歩いて過ごすようになりました。

  • 給料を下げてもらう(そしてそのことを、私を目の敵にする同僚に、上司からこっそり伝えてもらう/お前の方が稼いでいるんだから、と)
  • 正社員をやめる(パートになる)
  • 会社をやめる

メーター振り切れてます、いい感じです。本気でどれか選ぶしかないと思っていました。選択肢が超幼稚で泣けてくるのですが、4月に33歳になります。(付箋は呪詛の札でしかないので、昨日ぐっしゃり潰して捨てておきました。悪霊退散)

この記事で、悩んだときは心屋仁之助さんのラジオを聴いていると書きました。「納豆論」と名付けたのですが、「納豆が嫌いな関西の主婦に好かれようとしても無理。その前に納豆大好きな関東の主婦のことを忘れていやしないかい」という考え方がとても好きで、そうだそうだ、私には関東の主婦いっぱいおるぞと言い聞かせながら過ごしていたんですが、落ち込んでいるときは焼け石に水ですね。「その考え方が合っているし、そのほうが自分が楽になるし、わかるん”だけど”……」という思考パターンに陥ります。

わが社の”関西の主婦”が同じ空間にいる(同僚のことです、部も同じですのでほぼずっと一緒です)だけで、「また睨まれる、怒られる」と心臓をバクバクさせていました。平静を保つので精一杯なのです。トイレで用を足すときはたいがい、彼に怒られたシーンがフラッシュバックしました。尿は流れど怨念流れず。大もまた然り。

しかも私には心の自傷癖があるのか、この1週間のなかで彼に自ら、直コンタクトを取っているのでした。というのも、怒ってきた割には先方にも誤りがあったことを発見してしまったからです。怒られてから少し時間が経っての気づきでしたので、負け惜しみっぽいなと思って言うのをやめていたのですが、「あの女はできない、使えない、偉そうにしているがバカだ」と思われているとしたらムカつくし、貴様とて「絶対」ではなく、誰にでも間違えることはあるのだということを主張したい気持ちが拭えず、後日「すいません、念のため確認なんですが、この部分は誤りですよね」と指摘してしまったのでした。呼び止めただけで嫌そうな顔をされてしまいましたし、指摘に対しては「ああ、じゃあ、そういうことなんでしょうね」みたいなね。クール!そして戦を自分から仕掛けておいて、放つつもりの弓矢を自分の腹に突き刺した己の惨めさよ。心は晴れないし身体はイテェし、満身創痍の週末でした。

その間、心屋さんのラジオのみならずブログもちょこちょこと読んでいました。そこではいろんなひとが「ぢんさん(´;ω;`)」みたいなかんじで己の悩みを吐露していましてね、それに対して心屋さんがコメントを書くわけです。著書も持っていますが、ブログの方が自意識過剰族を公開処刑していくさまが痛快で、おもしろいです(精神的にピンチなかたは本の方がよいかも)。

いままで、悩むたびにYahoo知恵袋と発言小町を読んでいたことを後悔しました。知恵袋と小町を読んで救われたことなんてありません。むしろ自分は本当に消えるべき存在だという気持ちを強くするばかりでしたから。

心屋さんブログをおもしろいなあと読みつつも、自分の生活は変わらずでした。同僚に怯え、私は真面目に働いていないから会社にいてはいけないと思い、かといって働きたい仕事があるでもなく転職サイトを覗くこともせず、虚無感と股の痒みばかりの日々。カンジダは苦しい。こうして見ると「カンダタ」に空目しそうになります。私の蜘蛛の糸は切れてしまうのだろうなあなんて思ったり。心屋さんのラジオやブログで得た話には納得できることがいっぱいあるのに、「でもわたしにはできない」を繰り返していました。

それが、ですよ。週末にカフェで本家ブログのGoogleAdsenseをいじっていたら、突然、降りてきたのです。心屋さん用語では「パッカーン」と呼ぶそうですが、きたのです、ひらめきが。

なんだ、私の方があいつよりも好かれればいいだけじゃないか。

幸い、私は複数名から攻撃を受けているわけではありません。みんな大人な社員さんばかりなのです。そんな場所で、まずは好かれる人になること。接しやすいと思われること。そして敵はひとクセあるタイプ。ははあ、これは私、敵よりも接しやすく好かれやすくなるチャンスだぞと突然ひらめきました。

ここで大事なのは「仕事がデキる、デキない」ではなく「接しやすさ」がモノサシである点です。デキても接しにくいんじゃ、目的は達成できません。そして私は、いままでそういうタイプでした。長年培ってきたプライドもあります、一朝一夕には接しやすい人になんてなれないでしょう。でも、勝算が見えた。そのうえ自分のためにもなる気がした。接しやすくなる。たのしい人になる。がんばり甲斐があります。

というわけで、うじうじしていてもばかばかしいので、自分のためにがんばりはじめたのでした。でもこんな記事、本家ブログでも散々書いていますのでね。またか乙、と呆れる知人が大勢いそうです。躁と鬱を自家発電、卑屈と傲慢右往左往、ああ、ドラマティックな人生!33歳になるんです、4月で。情けないよ……でもここは「ダサくて笑えちゃうよね」という言葉で結んでおきます。

この記事で記しておきたいのは「吸収した情報はすべて糧になる」ということ。心屋ラジオもブログも、摂取している最中は憂鬱真っ只中だったのに、コップに注がれる水が満タンになってこぼれおちるように、ハタとひらめいたのです。吸収したものは無駄ではなかったのだと思います。逆もまた然りで、ネガティブな情報に触れつづけていたらいつか、負の感情があふれ出るのでしょう。

とりあえず、心に元気のないときはYahoo知恵袋と発言小町は見ない、ゼッタイ。これを我が原則とします。

 

▼今回(いつの間にか)元気をもらった記事

★【閲覧注意】どうみても気のせいだろーが|心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

★逆をやったら、失敗した!なにが悪かった?!|心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba