書き殴りたいことやまやまです

自意識過剰な子無しOLのぼやきです

プライドなく働いたっていいじゃないか

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いつか、「いち会社員」ではなく、「自分の名前」で仕事がしたい。 

今なおそんな青いことを言っています。そして「いつか」がアタマにつくかぎり、そんな日は来ないのでしょう。

フリーランスになるのは簡単です。会社を辞めて「なんでも仕事します」と言って回ればいい。でもそれができないのは、勝算が見えないからです。自分に、売り物にできるスキルなんてない。

私が好きな言葉は「リスクヘッジ」です。RPGなら雑魚キャラを目いっぱいやっつけてからいきます。ヒリヒリするようなボス戦はまっぴら御免なのです。そのためならプロアクションリプレイだって欲しいさ……(お金がないので買えなかったけれど使うのが夢だった)。

リスクを冒さず生きるのなら、そして我が身にスキルがないのなら、会社勤めはやはり、とてもありがたい選択肢なのです。やりがいなんてない、生き甲斐なんて感じない、いつか辞めたい、そう思いながら働くのは、とても失礼な話であると反省もしています。

改めて「会社勤め」についてもう一度考え、その魅力を実感してみようと思います。

その1)固定収入がある
会社勤めの最大の魅力でしょう。当然ながら「良い仕事」をすることが何よりですけれども、最悪、仕事がうまくいかなくても、給料の変動はあれどもキチンと収入が入ってくるのです。これはすごい。

その2)「ネタのタネ」との偶然の出会い

会社員であるからにはほとんどの場合、行きたくなくても会社にいかなくちゃいけないし、会いたくなくてもいろんな人に顔を合わせなければならないし、どんなにやる気がなくても毎日仕事が降ってくるものです。

でもこれ、考え方を変えれば会社勤めの魅力とも取れそうです。会社という環境、そこに至るまでの移動道中、仕事を介して出会ういろいろな人、行うべき作業、それらに強制的に遭遇させられるからです。

自分と何かがぶつかることで、そこに喜怒哀楽が生じます。事象に対する感情の揺れ動きは、ブログを書くにしてもそのほかのものを書くにしても、はたまた話のタネとしても、役立つことが多々あるのです。このブログなんて、会社に行って苛立ちを感じなければ書けなかったことでしょう。

会社は「お金を貰いながらネタがもらえる場所」なのです。なんて素晴らしいんでしょう、ありがたいんでしょう。恵まれている環境に感謝します。でもその分、心血注いで働けているのかと問われれば答えに窮します。

情熱大陸」「カンブリア宮殿」「プロフェッショナル」……メディアに取り上げられる「会社員」はすごい人ばかり。プロとしての矜持で溢れていて、美しくて、まぶしい。番組を観終えるころには私は消えたくなっています。お金をもらっているのに、プロとしての自覚もなく、流れ作業をこなすように働いている。なんと無礼な生き方だろうかと思うのです。しかし思ったところでいきなり心が入れ替わるはずもありません。そしてそんな自分が余計に嫌になっていく。

こういうときこそ、心の師・心屋さんの教えを参考にしてみよう。「思ったことと逆のことを言う」。

私は愛社精神もプロとしてのプライドもないけれど、どうも会社の役に立ってしまっているみたいなんだよなあ!

……さすがに、無理がありました。

何の矜持もなく働いている自分のことを、情けないとか、自分は給料をもらう資格なんてないと思ってしまいます。だけど、労働力を提供しているだけで、お給料をいただく資格はあるのではないでしょうか。

「お給料は我慢料」という考え方に美徳を感じてしまう私にとっては、書いておきながら、とても厚かましい考え方だなと思います。でも、書いてます。厚かましく生きていきたい。

会社の中で、私は歯車のようなもんです。数多あるうちのひとつ。それが私であろうとあるまいと、たいした問題ではないでしょう。でも歯車がなきゃ、その機械は動かないのです。毎日ちゃんと出社して、やることはやって、帰ってくる。それでいいじゃないか。これを心の底から思えるようになりたいのです。