書き殴りたいことやまやまです

自意識過剰な子無しOLのぼやきです

写真がうまくないとダメな時代なのに

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最近、なんでもフォトジェニック勝負です。なにせ昨年の流行語はインスタ映え一般ピープルでも「ええ写真(ぽいもの)」を撮れるようになり、もはや写真なくしてインターネット世界での情報発信はできません。

私にとって写真とは証明写真であり、アートや表現としての写真はいまいちわからないのです。写真に限ったことではなく、どうも心の性感帯が死んでいるようで、花火を見ても「へえ」とは思うけれど「きれいだなあ」という感動がわからない。絶景に対してもまた、心がマグロです。

本家ブログでは食レポ記事をよく書いていますが、これほど写真が大事なジャンルもないでしょう。しかし私との相性は最悪で、撮ると「お盆の上に何が盛られているかがわかる証明写真」になってしまう。そしてその写真に罪悪感を抱いていないのですからタチが悪い。

見知らぬ人から「おいしそうに見えない」と指摘されたときはビビりました。おいしそうな写真って何だろう……そんなワザが決められるのはテレビ東京さんをはじめとするプロ諸氏であり、私ごときに「おいしそう写真」を求められても困るなあくらいに思っていました。

でも心を少し入れ替えたのです。まずそうな写真を撮るということはお店に対して失礼だ、と気づきました。大好きだから記事にも書いちゃっているくらいなのに、これじゃ本末転倒です。

そこで最低限のスキルを得て、(まだまだ低レベルなのですが、)「まずそうには見えない写真」を撮れるようになったと思います。かなり努力しましたが、それでも、マイナスをゼロにしたにすぎません。「食べたい!」という気持ちを引き出すような表現力は養えていないわけです。

これが自分のブログだけのことなら目をつぶれますが、たまに、寄稿をさせていただく機会があります。これはなんらかのインセンティブを得ます。仕事です。やっぱりそれは個人ブログと同じテンションじゃだめなわけで(と思い込んでいますが、いつもどおりでいいのかなあ)、写真ももっとがんばらないといけない。

でも、わからないんです。カラスは数を5だか6だかまでしか数えられないといいます。彼らには7以上の世界がわからないのと同じように、私も「おいしそうに見える写真」がわからないのです。カラスは例えとして非常にいまいちだったな、いま反省しています。

「読まれるブログ」を書いていきたいなら、時代の流れを受け入れるしかないでしょう。抗うのは勝手です、読まれなくてもいいならね。読まれたいけれど写真は嫌い、写真がなくても成立するくらいの強烈な個性やネタもない、というのはわがまま……というかおバカです。

読まれないことを受け入れて、「ええ写真(ぽいもの)」なしのブログを貫いてみたらどうなるか。「写真が苦手マン」キャラになる。試してみてもおもしろいかもしれない、ようしやったるか、というところで、お世話になっている方から「写真がんばってください」という趣旨の激励をいただき、今日のお昼休みはいろんなグルメブログの写真をみて研究していました。ううむ、ぜんぜんわからん、どうしたら「おいしそう」な写真になるのだろうか……!

そんなに苦手なら写真をがんばれないキャラでいけばいいのに、落第生のレッテルを貼られることが怖くて、背伸びしてしまうのです。ああ、自意識過剰。私の写真など誰も期待していないというのに。でもお店の方が不快になってしまうのは私としても辛いので、やっぱりがんばるしかないのかなあと思います。堂々巡りです。

いまから少女革命ウテナを観て寝ます。