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仁義切りの達人になりたい

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新・仁義なき戦い。

新・仁義なき戦い。

 

 「仁義を切る」という言葉に触れたのは新卒1年目のことだったのではないかと思います。広告制作会社に所属していたこともあってか、クライアントや担当営業の存在もあり、そんな言葉を使うシーンには割と早く遭遇しました。

私のアルバイト小話のひとつに、「領収書の宛名に”上様”と書けだなんて、ふざけているんじゃないかと思った(ウエサマという存在は時代劇にしか出てこないと思っていた)」という愉快なものがあるのですが、似たような衝撃がありました。ここは任侠の世界なのかと。

ビジネスシーンにおける「仁義を切る」と言えば、「ひと言入れて了承を得ておく」ことを指します(と思っていたけれど、違っていたらすいません)。そしてこれは面倒くさい。さっさと事を進めたいのに、その案件に何の関係もない人にひと言入れ、なんならイチャモンというか何か言われて進行方向を変えなければならなくなったりする。

しかし、仁義切られる側とでもいいましょうか、ひと言入れられる側にしてみれば、担当しているクライアントのことだったり、なんらか自分と関連性のある大事なことに対し、知らないうちにどこからか手を出されているというのは非常に不快なものです。面倒くさいけれど大事、それがJINGI……

 

今日は、以前取材でお世話になったお店に夜ごはんを食べに行きました。店主さんと与太話をしているなかで、再度、同じ媒体からの取材の問い合わせが入ったのだという話を聞きました。知りませんでした。私の記事はもうそのメディアの所有物ですから、その記事に関することで私に仁義を切れとは申し上げません。

ただ、公開予定日の連絡などがうまくお店に伝わっていなかったようで、逆にお店の方から「その後どうなっているか知ってる?」と尋ねられて答えに窮してしまいました。ほか、ちょっと書きたいこともあるんですが愚痴がメインではないので控えます。

私は歯車、しかも小さくて大して使い物にもならないものなのは存じています。でも、お店との絆はあるんです。そして私はそのメディアの人間だと思われてしまうんです……

「悪いこと」はだれもしていないけれど、なんだかみんながちょっとずつモヤモヤしている。これはいっそ、「悪いこと」をして、「断罪」されて、「贖罪」していたほうが、気持ちよく接し合えるのではないだろうか……いや、悪いことはだめですが。

仁義を切るのは面倒くさい、でも大事。それを痛感したので、自戒の意味も込めて書き綴っておきました。