書き殴りたいことやまやまです

自意識過剰な子無しOLのぼやきです

謝る機会を求めているのかも

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こんばんは、懺悔の時間です。

以前、私を敵視する同僚がいるというくだらない話を書きました(愚痴らせてくれてありがとうございました)。彼は同じようなことを2度聞くと、非常に不機嫌になります。果ては、「いい加減にしてくれない?」と本気で怒られます。

そして昨日、フィットネススタジオでマダムに舌打ちをされたというクソくだらない話を書きました(重ね重ね、ありがとう)。ジムでのいがみ合いは、結構あるある話ですよね。常連さんが愛用しているマシンを使うと怒られるとかね。てめえが買ったんかいと尋ねたいところです。

さて、両者の振る舞いにはかなり心を傷めました。とにかくショックで恐怖、同じシーンがずっと脳内で再生され、手先と背筋が冷たくなって、上の空状態に。打たれ弱すぎると自覚しています。

でも、次は変わろうと思っています。

2度同じ内容を尋ねてしまったこと、マダムお気に入りのシャワーブースを使ってしまったこと、それは確かに悪かったかもしれない、が、

「そういう言い方(舌の打ち方?)をされると、傷つく」

ということは主張してもいいはず。心の師、心屋さんは自分を守れと仰っています。先日は 言い損ねて、グッと悲しい気持ちを飲み込むに徹したけれど、次回は「その表現には傷つく」ということだけはしっかり言おう。そう思っています。

厚かましい考え方かもしれませんが、それは先方にとってもちょっとした出来事になるのではないか、と思います。というのも、実は、かく言う私も「きちんと決めた待ち合わせ場所と日時を繰り返し確認されるとめちゃくちゃイライラする」タイプだし、「気が立っているときに他人に舌打ちをしたことがある」からです。ことごとくクソ。愚痴る資格はなかったんです。

そういう態度をとってしまったり、攻撃的な言葉をかけてしまったとき、私はとんでもなく後悔して落ち込みます。そんな日の入浴時間は長くなる。ぶくぶくと湯船に顔を浸しながら、同じシーンを思い返して申し訳なくなる。

……いや、申し訳ないというのはうそだ。相手の気持ち云々ではなく、「幼稚な振る舞いをした自分」に対する後悔なのです。また自分ブランドの価値を下げてしまった、と。ああ、私はI(わたし)の難破船。本当に、書いていて悲しくなります。いつだって自分のことばかり、自意識過女史。

地に落ちたブランド力を少しでも回復させるために、私は「謝る」という手段をとります。対面で、メールで、なんらか、謝ります。でもそれって、結局自分のためなんですよね。相手のことなんて微塵も考えちゃいない。一方的に当たられて、謝られて……被害者の方々のことを想うと、改めて、申し訳ない。

一度、不機嫌を露わにした際、相手にその場で「わたし、何かしましたっけ」と問われてハッとしたことがありました。猛烈に恥ずかしくなりました、が、素直に謝ることができた。苦手な相手でしたが、それを機に、顔を合わせにくくなるどころか接しやすく感じたのが不思議でした。

だから、次は、悲しい、怖いという感情を飲み込まないようにしてみます。かえってこじれるかもしれないけど、それはそれで。……言うは易し、きっとなかなかできないのだろうなあ。

その前に、己の性格リフォームに尽力いたします。