書き殴りたいことやまやまです

自意識過剰な子無しOLのぼやきです

コミュニケーション上の瞬間的な「嫌な気持ち」をどう処理したらいいのか

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「溺れかけ女子溺れかけ女子」[モデル:たけべともこ]のフリー写真素材を拡大

こんばんは、懺悔の時間です。

朝、フィットネススタジオに行ってきました。参加者の中にちょっと愚痴っぽいマダムがいて、彼女が一緒にいらしているお友達とずっとおしゃべりをしていることに、私は少し前から苛立ちを覚えていました。朝からくだらない愚痴なんて、聞きたくありません。

さて、先日のレッスン後、彼女が使おうとしていたシャワーブースに私が入ってしまったことがありました。しかも、彼女がタラタラ歩いていたので、私は小走りで追い抜かしたうえで、そのブースに入ってしまったのです。ただでさえ愚痴っぽい人なのですから、さぞやイラッとしたことと思います。

彼女は想像どおり苛立っており、苛立ちすぎて舌打ちをしていました。

刹那、私の心が凍りました。むかつくとも、怖いとも違う、言えないなんとも不快な気持ちに支配されたのです。シャワーを浴びながら、ずっと彼女のことを考えてしまいました。テーマは「このシャワーブースから出て彼女と鉢合わせしたとき、なんと言ってやろうか」。

もちろん望んで考え始めたことではなく、自動的に、脳内ディスカッションが始まってしまったのです。

決まっていたのは、第一声を「さっきはすみませんでした」にすること。そして彼女から「いえいえ」とか「えっ、何がですか」とか言われたら、申し訳なさそうな表情とともに言ってやるのです。

「少し舌打ちが聞こえたものだから、かなり気を悪くされたのだろうなと思って……本当にすみませんでした」

一生懸命、考えようとして考えたことではありません。自動的にここまで考えが至ってしまったのです。

「なんのために」

自ら望んで考えたのはこの言葉でした。なんのために、私はこの流れを望んでいるのか。この問答によって、私はどういう幸せ、報酬を得られるのでしょうか。

自分なりに考えた結果、「彼女に舌打ちが聞こえていたと言う恥ずかしさ、そして罪悪感を抱かせたかった」のだと思いました。それはなぜか。私が彼女を罰することで、日々気に食わないと思っている彼女よりも、私が優位に立てそうだと思ったからでしょう。

シャワーブースから出るころには、舌打ちされた瞬間よりもずっと暗い気持ちになりました。あまりにも自分の思考回路が幼稚で、情けない。脊髄反射でここまで思ってしまう自分のことが嫌いになりました。

その後彼女とはち合わせをしましたが、特に何を言うでもなく、まるで彼女のことが見えなかったように振る舞い、ジムを出ました。一日、いい仕事ができませんでした。そんな自分がまた、嫌になる。

私が日々お世話になっている「心屋さん」は、自分の気持ちを素直に吐露することを推奨しています。溜めると、それは怒りや悲しみになり、ゆがんだ形でコミュニケーションに影響してしまうからと。

だとしたら私はどうすればよかったんでしょう。舌打ちをされた瞬間に、「そんなふうにされると辛いです」などと言えばよかった?

また、マダムと顔を合わせる機会があるでしょう(というか、しょっちゅうある)。今回の件はさすがに時効。また次、なにか嫌なことがあったら「その態度は傷つきます」と伝えればいいのかなあ。わかりません。

何はともあれ、中盤に書いた通り、私はクソ思考回路を持った人間です。早く便器から外に出たい。おお、ビッグベン。