書き殴りたいことやまやまです

自意識過剰な子無しOLのぼやきです

お礼は言っても言わなくてもいい

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こんばんは、懺悔の時間です。

先日、新入社員の歓迎会が開催されました。翌日、新人さんたちはいつもの通り「おはようございます」と言いながら席につき、パソコンに向かって仕事か何かをスタートさせました。 

それを見た私の脳裏には「諸先輩方に”昨日はありがとうございました”とお礼を言って回るべきだ」という意見がよぎってしまったのです。自分で自分にがっかりしました。

企業文化にもよるでしょうが、私は新入社員のとき、歓迎会や飲みの席で一緒になった先輩・上司には翌日「昨日はありがとうございました」と直接出向いて声をかけるのが礼儀だと学んだのです。

そして私はそのルールが苦手でした。行脚するのが面倒くさいからです。先輩の立場になり後輩からありがとうございましたと言われる機会もありましたが、その「お決まり」でしかないコミュニケーションは、ときに鬱陶しくも感じました。

そう思っているにもかかわらず、なぜお礼をしない新人さん達を責めるかのような「一人ひとりにお礼を言って回るべき」という意見が自分の中に湧いたのでしょうか。

理由はひとえに、「私は当時我慢をしたのだから、あなた方も我慢をしなければずるい」という本音にあるのでしょう。

自分はまだまだ器が小さいなぁ。そう思えて笑えてきました。

リスケのリスケ

Tilt Photography of Calendar Schedule Number 18

いま、会社の偉い方のスピーチ原稿と資料を作っています。黒子業が嫌いなのでやる気が出なくてしょうがないのですが、これもまた仕事ですから、心を無にしてやりきるしかありません。

※うんざりMAX時の日記はこちらです:心が濁ってきたので週末は現実逃避の旅へ - 書き殴りたいことやまやまです

スピーチに向けた打ち合わせが開催されることになったのですが、先日、秘書部門の方からリスケおよび場所変更が言い渡され、後日、予定日が近づいた段階で再度リスケ依頼が届きました。命令してきたようにもとれる書きぶりとなってしまいましたが、もちろん「約束していたXX日の●時がダメになってしまったので、●時にしたいのですがいかがですか」という、至極まともな連絡を受けています。

会社員たるもの、偉い人のリスケに付き合うのもまた仕事と考えるものなのでしょう。いや、リスケひとつに私のようにグチグチネチネチ考えたりしないのかもしれません。でも私はどうしても苛立ってしまうのです。たとえ相手が偉い人であっても、です。我ながら何様だと思いもしますが、ここは臆せず堂々と「平社員様だコノヤロー!」と申し上げましょう。

「一般的」には、自分を雇ってくれている会社の偉い人の命には背いてはなりません。でも私は、自分の価値観の変革に取り組もうとしているのです。いままであまりにも「一般的にはこうであるべき」という基準に囚われ、真面目を貫きすぎてきました。怒られるかもしれないけれど、「自分がそれを好きかどうか」「わくわくするかどうか」で判断していきたいのです。

当然のことながら、不本意なリスケのリスケは好きでもないし、ワクワクもしません。いくら相手が偉くて忙しいとはいえ、チョンチョンと軽く予定変更の打診をされるのは、「どうせおまえ暇だろ」と言っているのとほぼ同義に(私のネガティブな耳には)聴こえるのです。まあ、暇だがな!

とにかく、置物を右から左へ動かすように存在を軽んじられているような心地に陥ります。実際、それに値する人材でもあろうと思います、が、そういうことは言わないんだった!「私はちゃんと働いています!(無理やり言っている)」

リスケのリスケなんて、お願いする立場だったら心苦しくてなりません。それでもお願いなさるのですから、のっぴきならない理由があるのだろうとは思います。でもその理由を添えるでもなく、秘書の方が単刀直入にリスケのリスケの打診をしてくるというのは、いい気分ではありません。

単純に私が「なぜですか?」と聞けばよいだけのことなので、聞く努力をしていない点は反省せねばならないでしょう。

「リスケのリスケだなんて、あまり大事にされていない気持ちがして寂しくなる」などとヘドロ女の重量級ワードをお伝えするという道もありました、が、偉い人にそんなことを言う勇気はまだ湧きませんでした。実際、大事にはしていないでしょうけど…いや、そんなことを言ってはならないんだった、自信を持つのだ「大事にされて然るべき人材であります(震え声)」!

リスケのリスケの打診をされた私がやったことは、「その時間だと都合がつかないのですみません。同じプロジェクトの●●さんに一任していますのでお2人で打ち合わせを薦めていただけると助かります」でした。

打ち合わせの時に軽い調子で「予定変えさせちゃって悪かったネ~」なんて言われたら心の狭い私の顔は歪むに違いありませんし、打ち合わせ中ずっと胸糞悪いので、身体が酸化してしまいます。

この仕事を一緒に担当することになった同僚は大らかで、こうしたことに全然苛立たないようなのです。そんな人間になりたかった。「リスケのリスケの日時は都合がつかないので話を進めておいてもらえたらありがたいんだけど…」と申し出ましたら「全然いいよー」ですって。これは豪華ランチのひとつでも奢らねばなりません。

自分の居心地のいい環境というのは、自分で作らねばならないのだなあ。いままでだったら、きっと無理やりリスケの都合に合わせて打ち合わせ中ずっとしかめ面をしていたことでしょう。

それにしても、ここまで書いてしまったからには、もう私、「リスケのリスケ」はできないな……どうしよう……\(^o^)/オワタ

今日も私は懺悔する

ãé ­ãä¸ã礼ããã女å°é ­ãä¸ã礼ããã女å°ãï¼»ã¢ãã«ï¼ãããã²ãã¿ï¼½ã®ããªã¼åçç´ æãæ¡å¤§

こんばんは、懺悔の時間です。

昨日、手持ちのメモで

「月・水・金は本家ブログの記事を更新して~、どうしても本家に書けないようなドロッとしたことは分家ブログ(このブログです)に書いて~、並行してエッセイなんてものも書いちゃうよ~」

と、意識高く宣言していたのですが、なんのことはない「無理です」。勉強会後はテンションが高まってしまうので、そのままの勢いで筆をとると残念なことにしかなりません。でも、5月からは本当に行けそうな気がする、というか行きます!

というわけで、いまのうちに本家ブログの読者登録にもご協力いただけましたら幸甚です。言いたいことやまやまです

yamama48.hatenablog.com

 

冒頭の「懺悔」ですが、夜中にトイレで音声入力でこのブログを書き始めたことがきっかけでできた言葉です。ネガティブな内容が多いことも相まって、トイレは懺悔室と化したのでした。

ちょうどアニメ「少女革命ウテナ」をAmazonで観ていたのもいけなかった。黒薔薇編といえば懺悔です。あの娘が憎い、そしてそんなことを考えてしまう私が憎い。そこで御影草時ですよ!「あなたが進むべき道は用意してあります」……黒薔薇の決闘者のように!わたしも!はてなで!絶対運命黙示録

……そうこうして懺悔が定着してしまったのですが、たしかにこれを冒頭に置くと、1日の中の鬱陶しかったこと、胸糞悪かったことを思い出しながらアウトプットしてしまう流れができてしまうのですよね……ハッピーオーラを出したい、けれど出したら私でなくなる気もします。いつまでもディズニーランドくそくらえと言っていたい。

 

そんな「懺悔」を、かの、まけもけさんが使ってくれました!!!しかもまためちゃくちゃ面白い記事で!!やー、今日1番うれしかったことです。ぐわぐわ団は憧れです。いつか日高屋でコラボしたい。

www.gw2.biz

 

懺悔の時間でした、ごきげんよう

ブログ運営方法を変えようか悩んでいます

久々にブログ勉強会へ行きました。

懇親タイムで「どんなブログを書かれているんですか」と問われましたが、いま毎日更新できているのはこのブログだけですから、テーマもくそもなく、伏し目がちに「生存報告です」と答えることしかできませんでした。

ああ!これがだめなのでしょう。心屋先生がおっしゃっていた「思っていることと逆のことを言う」テクニックを反映させればよかったのです。

「とてもおもしろい生存報告です」

という具合で。私が聞き手だったら、こちらのほうがまだ記憶に残りそうです。

さて、勉強会の影響でやってみたいこともできたのでブログ等の身辺整理をしたくなりました。

やはり4年間も一緒に過ごしてきた本家ブログ「言いたいことやまやまです」を放ったらかしにしているのは心が痛みます。あちらでも、ここで書いているのと同じような感覚で記事を上げていけばいいか、と思えてきました。ちょっと優等生をやりすぎました(という割には暑苦しいブログですが)ので、凡人に戻そうかと。

▼こんなかんじで、活動していくのはどうかと考えています。

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やはり毎日更新がよいのかなあ、でも無理だしなあ。PVとか何も変わらなかったしなあ。まだ悩んでいますが、本家ブログをそろそろ再起させたいというのは間違いありません。

本業のことも、これだけ真剣に悩めたらいいのですが。

相対評価の価値観を変えたい

選択基準が「(私という人間が)価値がない、劣っていると思われないかどうか」であることが多々あります。

27~28歳で必死で婚活をしていたのは、「30までに結婚しておかないと、”この女は気分屋で扱いにくい面倒くさいから引き取り手がいないんだな”と思われてしまうから」でした。既婚か未婚かなんて関係なく、こういう思考回路を持っていること自体が面倒くささなのに、です。結婚に関心なんてなかったのに、よくまあ1~2年もがんばれたものです。

婚活の不毛さ(なにしろ、結婚を欲しているのではなく既婚者という称号が欲しかっただけですから)を悟り、諦め、ひと山越えたと思ったら今度は「出産」で悩むことが増えました。

33という歳ですから、ありとあらゆる人に年齢リミット問題を持ち出されます。家族、出産経験者、婦人科、いろいろです。

「歳を重ねると妊娠しづらくなるから」「体力が必要だから」「不妊治療はつらいから」「産めなくなるかもしれないから」。

親切心ゆえとは思いますが、こうしたアタックに対しては強い気持ちで否を提示します。私は子供が好きではないし育てることに面倒くささしか感じないし、”産めば変わる”って言うけれど、あんたもしも私の気持ちが変わらなかったら、私の代わりにその子を育ててくれるのかい、と。

「いまはいいけれど、家族がいないのは寂しいよ」

おお、おお、おお、どの家族も円満だと思うことなかれ。私はいま母のことが苦手なんです。一生懸命、自分の時間と金を費やして育てた子供が、いま私が母に抱いているような気持ちを持つようになったら、泣けてきます。時間も金も返してくれよと。

そんな想いがあるのに、「価値がない、劣っていると思われないかどうか」という判断基準ゆえ、出産していないことに罪悪感を抱いてしまうのです。すなわち、人口減少が叫ばれる昨今において、子どもを産める条件が揃っているにも関わらず産まないというのは褒められたことではない、と思ってしまうということです。

その考えに沿っていくと、子どもを産み、育てながら仕事もしているママたちはとんでもなく偉い(実際、偉いと思う)。だから時短で帰る彼女たちには親切に「しなければならない」し、困っていたら、仕事を肩代わりするくらいの協力姿勢を「見せなければならない」。だって私は自由気ままな独身女なのだもの。だのに、それを快く遂行できないのです。「なんで私が」と思ってしまう。そしてそんな私は、社会的に見れば「人でなし」です。

この問題を「婚活」のように消化することができたとしても、「価値がない、劣っている人間だと思われやしないか」という判断基準を持ちつづける以上、きっとまた「親の介護」などなど新たな悩みに遭遇するのでしょう。

価値観を変えなければ。相対評価から絶対評価へ。主語を「世の中一般」から「私」へ。

今朝はよく行く喫茶店で朝食をいただきました。妙に私を買ってくれているマスターは大変個性的な方で、同じことを何度も言うし声はデカイし話す内容が客への愚痴であることも多い。今日も「インスタグラムだかなんだか知らないけど、そんなもんの情報だけでウチに来られても困るんだよね!」と大声で愚痴られました。人気の方の投稿の影響で一見さんが増えたらしく、そのおかげで常連さんが来る頃には品切れの商品があり、心苦しいと。そう言われましても。私の2つ隣の席には、コーヒーの写真をスマホで撮影しているカップル客がいました。さぞや居づらかったことでしょう。

こんな調子ですから、食べログでの評価は(いまはページ登録されていないのですが、もしあったら)低いでしょうね。店員の態度が云々……と。いわゆる「おもてなし」を期待する人たちにとっては居心地が悪すぎるお店ですから。

でも私はコーヒー以上にマスターのキャラクターが好きだし、常連さんのなかには遠方からわざわざいらっしゃる方もいる。

……こういうことなんだよなあ。「俺」を貫いていいんだよなあ。

長年培った相対評価癖、地道にシフトチェンジしていければと思います。

関係ないのですが、今日遭遇した工事現場、迂回路ナビゲーターのおじさんの手の回し方があまりにもエレガントで「ソロモン流」の船越英一郎みたいでした。船越さんの元奥方も昨年はいろいろ大変でしたけれど、そこにもファンはいるわけですしねえ。

「面白い」と言われなくなって早4年

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こんばんは、懺悔の時間です。

久々に同僚氏(同い年で同時期に入社、妙に私に敵意を向けてくる男性です)に心をえぐられました。

知人からあるイベントのチケットをかなりの枚数いただき、せっかくならと、会社の「ご自由に」スペースに置いておいたのです。同僚氏はそのイベントに興味があったようで、チケットを見つけるや、近くにいた先輩に「これもらっていいんですかね!?」と話しかけました。先輩は「いいと思うよ、やままさんが知り合いにもらったチケットなんだって」と返し、それを聞いた途端、同僚氏の声のトーンはぐぐんと下がりました。チケットを手に取ることなく、席に戻っていったのでした。

悪口を言われたわけでもないし、殴られたわけでもないのに、私の心はえぐられました。小学生時代に起こりがちだったいじめを思い出したのかもしれません。「これ、〇〇ちゃんが触ったから不潔だよ」。

 

さて、夜は新人歓迎会でした。18時に始まり、20時に終わり、二次会が開催されることもなく、三々五々で解散(仲良しグループごとに別途2次会をしているようですが私はどこにも属しておりませんので)。せっかくなので会社に戻ってきて、しんと静まり返ったオフィスでこのブログを音声入力している次第です。不思議な気分。

つまらない2次会なんてしんどいだけですから、いいことだと思います。

今勤めている会社は、早く帰れるのが素敵なところなのです。みなさん大人で、誰かを貶めようとすることはありません。とても良い職場環境ですが、3社目にして、ここまで自分の存在感がないのは初めてのことです。

1社目も2社目も、ありがたいことに私を面白がってくれる人がチラホラといらっしゃいました(やさしさゆえ、面白がるふりをしてくれていただけかもしれません)。

オフ会や1人飲みなど多くの場で、私を面白がってくださる方に遭遇します。みんな優しいだけで、本当はおもしろくないけれど笑ってくださっているだけの可能性も多分にありますが、それでもいいんです、存在感を実感させてくださるだけで感謝でいっぱい。

しかし今の会社に入ってから、私は「面白い人」という位置づけではなくなりました。話を振られることもほとんどありません(その点、同僚氏の存在感はすごいものです)。

もう4年近く勤めています。会社の人たちが面白がってくれないことには慣れっこ、と言いたいのですが、日々ションボリしてしまうのです。相手にされない飲み会のあとは、とりわけ自信をなくします。

こんな夜は、いつクビになってもいいよう、なにか自分にしかできないことを見つけておきたいと思うのです。

なんでも言ったもん勝ち

こんばんは、懺悔の時間です。

ちょっとした会合に参加し、プレゼンコンサルタントなる人物と知り合いました。

会の途中で、コンサル氏のありがたいお話を聞く時間が設けられました。さぞや素晴らしいプレゼンなのだろうとワクワクしておりましたら、

「今日はサクッと、15分くらいで」

……とんでもないサクサクぶりです。15分もあればちびまる子ちゃん1話分です。プレゼンの匠、おそるべし。正直、なにひとつ面白くありませんでした。

でも、プレゼン講師になろうと思えばなれるなと、お話を伺いながら思ったのです。ダメ出しなんていくらでもできます。どんなに完璧でも、がんばれば欠点が見えます。指摘された欠点をリカバリーしても、欠点を探せば出てきます。ちょっとした声の大きさとか、話すスピードとか。

しかし自信がない方にしてみれば、そのアドバイスは神の啓示。言ったもん勝ちだ、と思いました。必要なのは、プロとして振る舞う厚かましさだけです。

堂々としていれば、それは現実になる。おどおどするのを一刻も早く辞めたいと思いました。