書き殴りたいことやまやまです

自意識過剰な子無しOLのぼやきです

相対評価の価値観を変えたい

この記事をシェアする

選択基準が「(私という人間が)価値がない、劣っていると思われないかどうか」であることが多々あります。

27~28歳で必死で婚活をしていたのは、「30までに結婚しておかないと、”この女は気分屋で扱いにくい面倒くさいから引き取り手がいないんだな”と思われてしまうから」でした。既婚か未婚かなんて関係なく、こういう思考回路を持っていること自体が面倒くささなのに、です。結婚に関心なんてなかったのに、よくまあ1~2年もがんばれたものです。

婚活の不毛さ(なにしろ、結婚を欲しているのではなく既婚者という称号が欲しかっただけですから)を悟り、諦め、ひと山越えたと思ったら今度は「出産」で悩むことが増えました。

33という歳ですから、ありとあらゆる人に年齢リミット問題を持ち出されます。家族、出産経験者、婦人科、いろいろです。

「歳を重ねると妊娠しづらくなるから」「体力が必要だから」「不妊治療はつらいから」「産めなくなるかもしれないから」。

親切心ゆえとは思いますが、こうしたアタックに対しては強い気持ちで否を提示します。私は子供が好きではないし育てることに面倒くささしか感じないし、”産めば変わる”って言うけれど、あんたもしも私の気持ちが変わらなかったら、私の代わりにその子を育ててくれるのかい、と。

「いまはいいけれど、家族がいないのは寂しいよ」

おお、おお、おお、どの家族も円満だと思うことなかれ。私はいま母のことが苦手なんです。一生懸命、自分の時間と金を費やして育てた子供が、いま私が母に抱いているような気持ちを持つようになったら、泣けてきます。時間も金も返してくれよと。

そんな想いがあるのに、「価値がない、劣っていると思われないかどうか」という判断基準ゆえ、出産していないことに罪悪感を抱いてしまうのです。すなわち、人口減少が叫ばれる昨今において、子どもを産める条件が揃っているにも関わらず産まないというのは褒められたことではない、と思ってしまうということです。

その考えに沿っていくと、子どもを産み、育てながら仕事もしているママたちはとんでもなく偉い(実際、偉いと思う)。だから時短で帰る彼女たちには親切に「しなければならない」し、困っていたら、仕事を肩代わりするくらいの協力姿勢を「見せなければならない」。だって私は自由気ままな独身女なのだもの。だのに、それを快く遂行できないのです。「なんで私が」と思ってしまう。そしてそんな私は、社会的に見れば「人でなし」です。

この問題を「婚活」のように消化することができたとしても、「価値がない、劣っている人間だと思われやしないか」という判断基準を持ちつづける以上、きっとまた「親の介護」などなど新たな悩みに遭遇するのでしょう。

価値観を変えなければ。相対評価から絶対評価へ。主語を「世の中一般」から「私」へ。

今朝はよく行く喫茶店で朝食をいただきました。妙に私を買ってくれているマスターは大変個性的な方で、同じことを何度も言うし声はデカイし話す内容が客への愚痴であることも多い。今日も「インスタグラムだかなんだか知らないけど、そんなもんの情報だけでウチに来られても困るんだよね!」と大声で愚痴られました。人気の方の投稿の影響で一見さんが増えたらしく、そのおかげで常連さんが来る頃には品切れの商品があり、心苦しいと。そう言われましても。私の2つ隣の席には、コーヒーの写真をスマホで撮影しているカップル客がいました。さぞや居づらかったことでしょう。

こんな調子ですから、食べログでの評価は(いまはページ登録されていないのですが、もしあったら)低いでしょうね。店員の態度が云々……と。いわゆる「おもてなし」を期待する人たちにとっては居心地が悪すぎるお店ですから。

でも私はコーヒー以上にマスターのキャラクターが好きだし、常連さんのなかには遠方からわざわざいらっしゃる方もいる。

……こういうことなんだよなあ。「俺」を貫いていいんだよなあ。

長年培った相対評価癖、地道にシフトチェンジしていければと思います。

関係ないのですが、今日遭遇した工事現場、迂回路ナビゲーターのおじさんの手の回し方があまりにもエレガントで「ソロモン流」の船越英一郎みたいでした。船越さんの元奥方も昨年はいろいろ大変でしたけれど、そこにもファンはいるわけですしねえ。