こんばんは、懺悔の時間です。
昨日かなしいことがあり、時間も限られていたので帰り道に衝動的に記事を投稿してしまいました。でもかなりぼかしたのでスッキリせず、すぐにでもTwitterやらFacebookで知人などに愚痴りたいくらいだったのですが、自分に非があったらダサイなあと、送信済みメールボックスをひっくり返していたら就寝時間になってしまいました。ひと晩寝れば忘れるかなと思いましたが、
休日出勤。仕事ではないことで非常にむしゃくしゃしており、バゲット半本と会社でもらいがちなお土産菓子のストックを全部食べ切ってしまった。後悔?ねーよそんなもん!!!!!(と思い切って食べれば太らないと信じる)
— やまま (@yamama48) 2018年3月21日
くそー、全然甘味が食べたりない。普段食べていなくてもこういうときに爆発したら元も子もないよな……
— やまま (@yamama48) 2018年3月21日
無理でした。糖質ばかり摂取してしまったな……明朝食べるためのロールケーキが一本あります。今晩はなんとか理性で制御しました。
文章を書いて、提出していたのです。10日ほど前でしょうか。返事はありましたが、一向にその文章が使われる形跡がなく、気にはなっていました。とはいえ返事もあった。年度末だし、いろいろなスケジュールの都合もあるのだろうし、急かしても悪いなあと、寝かせていたのです。
しかし文中には3月のおしらせも含まれていて、このままだと賞味期限の短い記事になってしまうよなあと勇気をだして催促してみたところ、4月に使うとの回答でした。
3月のおしらせはまるまるカットです。仕事には急な変更や理不尽というのはつきものですが、しょんぼりしてしまう気持ちは拭えませんね。「文章が長かったからカットしても大丈夫だと思いますよ」とのことで、しょんぼりの極みでした。それ、私が言うならまだしも。
ほかにも諸々、心にひっかかるポイントはあったのですが、書き続けていると今日の記事が終わらないので、話をすすめましょう。
モヤっとした気持ちの正体を突き止められたことを、ほめよう
いままでの私であれば、無礼だと憤慨し、苛立ち、そして最終的にその槍の向く方向は「でも悪いのは、もっと早く催促の連絡を入れなかった自分」となるのです。
さらに、なぜ催促の連絡が入れられなかったかといえば「私ごときが、生意気だ」と思ってしまうからです。私には知名度も実力もない。そんなパンピーが「あの件どうなっていますか」だなんて偉そうに、という具合。卑屈は私の得意技です。
それがなぜだか、今回は卑屈に染まりきる手前で、踏みとどまりました。心の師・心屋さんのPodcastやらブログやらの情報、カウンセラーさんのアドバイスなどが今回効いたようです。
自分を責めるには責めました。でも、そのポイントがいつもと違った。
いままで「もっと早く催促の連絡を入れなかったのが悪い」
今回「私には催促する資格がないと、卑屈になっていたことが悪い」
心の師の、★「アイ(I)メッセージ」は本音ではない。 という記事が好きなのです。そこでは、「ある出来事があって、そこに不快を感じたら、そこには自分が不快になった理由がある」といったことが語られています。
たとえば、「連絡がなくて寂しかった」であれば、「なぜ寂しいと感じるのか」の理由がある。「雑に扱われている気がした」「どうでもいいと思われている気がした」……などの「気がした」系。これが根っこにあるのだと。連絡の有無ではなく、こっちと向き合わないと、悩みは変わらないのです。
今回の件のみならず、会社の特定の同僚に攻撃的な態度を取られるときなど、私はひどく辛い気持ちになるので、上記の記事を拝読したときにノートにがりがりと書きこみながら、自分の「気のせい」を探ったのでした。そこで出会ったのは「私は、”価値がないと思われている気がする”ことに弱い」という事実でした。
私には知名度も実力もない。他にも文章を書いている人は多々おり、その方たちはとてもすごい、私よりずっとランクが上、私なんて、どうせ私なんて。こんな私が催促するだなんて生意気だ。
なんということでしょう。他ならぬ私自身が、私の最大の弱点である「おまえには価値がない」という呪詛を呟いていたのです。今回の件でもっとも罪深いのは、このことです。
これまでの私であれば、「私の文章なんて、放置されて、勝手に直してもいいやと思われる程度のもので、それは他の皆さんに比べて私のランクが低いから。よし、高みを目指してがんばろう」と思い込み、自分を奮い立たせていたでしょう(なかなか立たないんだけど)。
でも、今回はそれはやめます。
誰が偉いでもすごいでもない。みんなちがってみんないいのだ。私は私であり、皆と同等なのだ。だから謙遜する必要もないし、堂々と、気になることがあれば聞けばいい。
怒り狂って「もういい!」とお付き合いをなくすこともできましょうが、相手だって悪気があってやっているわけではない。そしていま私は、誰かを罰したいという意欲がありません。お互い様なのです。
お付き合いを切り捨てはしないまでも、いまのところ、この件があってやる気がでません。やる気がない自分を尊重します。やる気が出たら、またやればいい。
まだちょっと書き方がぼけていますね。うまくまとめきれなかった。でも今日の想いを明確にメモしておきたく、このブログの場を使いました。ちょっとすっきりしています。おやすみなさい。